民の竈🍚
どうもこんにちは😃
さて、前回に引き続き天皇のお話が続きますが、今日は私が感動したお話をお伝えしますので是非最後までお付き合いくださいませ♪
日本が2000年以上の歴史を紡いできたことは前回お話しましたね👍
しかし世界を見渡してみてもそのような国はありません😳
なぜ日本だけが連綿と続く歴史を保てたのか❗️
日本と世界の違いを明確にすればわかるかもしれません😁
キーワードは王と民
世界の国の王にとって民とは何だったのか。
フランスのルイ14世の有名な言葉があります。
朕(ちん)とは国王の一人称です。
国(民)は王の私物、王の言葉が法。
そんなところでしょうか😓
しかし西欧も中国もこの考え方でした。
民は王が贅沢をする為の道具である。
そのように考えられていました。
結局、民の不満が爆発し、権力者は民衆によって滅ぼされるわけです。
革命ってやつですね🤯
つまり他の国では王(権力者)と民は対立関係にあったわけです⚔️
では日本では天皇と民はどのような関係だったのでしょう。
第16代仁徳天皇のお話です。
民の竈(かまど)
ある時天皇が宮(皇居)から村々を見渡した時、ある事にお気づきになられました。
「民の竈から炊煙がのぼっておらぬ。炊く米がない程苦しい生活をしておるのか。都がこれでは地方は大変な事ではないか。」
と、思召し(おぼしめし)になりました。
そこで天皇は
「これより三年、民の税を免除する。」
と、詔(みことのり)をお発しになりました。
※1)当時の税は米 ※2)詔とは天皇の命令
それからというもの、天皇は衣も穴が空いても新調せず、宮の茅葺屋根に穴が空いても修繕せず、とにかく節約し、耐え忍び暮らしました。
三年が経ち、天皇が宮から村々を見渡すと沢山の炊煙が立つのが見えました。
そして隣にいた皇后にこう仰います。
「朕は富んだ。とても嬉しく思う。」
皇后はお返しになりました。
「宮の屋根には穴が空き、衣は汚れ、ほつれているのに、どこが富んだと言うのでしょう。」
天皇は更にお返しになります。
「天が君(天皇)を立てたのは民の為である。だから民が一人でも飢えればそれは君のせいなのだ。今、民が富んだのであるから君も富んだと言えるのだ。」
いかがでしたか?天皇が民を思う気持ちに溢れたエピソードです😊
ちなみにこの後、天皇は更に三年、税を免除します。すると見るに見かねた民が無理やり皇居に押し入り皇居を修繕し、税を納めに暴動を起こすお話が描かれています(笑)
もうおわかりと思いますが、日本では天皇と民が対立関係にありません。
天皇と民が一体となって支えてきたのが日本なのです👏
これを君民共治(くんみんきょうち)と言います❗️
その証拠に皇居には垣根があるだけで簡単に侵入できてしまう創りでした😳
これは天皇に敵がいなかった何よりの証拠ですね♪
これが日本の長い歴史の秘密の1つです🇯🇵
長くなりました。今日はこの辺で👍
またねっ👋
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